山口家復興まで⑦ 解体編

解体が始まったのが2020年5月末からで、7月の半ばまでかかりました。瓦を下ろしてガラス窓を外して、藁ぶき屋根のトタンをはずして、いよいよ私が見たかった藁が現れました。リアル日本昔話の家みたいです。

藁は軽くて圧縮できないので、真ん中の母屋だけでもトラックで運んだ回数が30回以上になりました。しかも普通のごみとして出せないので、遠い現場まで運ばなくてはならないそうです。こんなに藁があったなんて驚きです。

玄関の天井を剥いでみると、まっすぐではない梁が交差しています。昔は曲がっていても梁として使えていたということですね。長い時間が経っていても木材は朽ちていないので、改めて木の丈夫さを感じます。

3階建てのリンゴの貯蔵庫も解体です。とても涼しくて適度な湿度があったので野菜なども傷まず、リンゴが5月の連休まで取っておけました。この中にいたら年を取らないかもです(笑)

東京と大豆島に事務所がある山翠舎という古木を買い取ってくれる会社に、梁や材木を引き取ってもらいました。東京では古木を使ってお店をリフォームすることも多いそうで、我が家の梁がおしゃれなお店で生まれ変われたら古木も私もうれしいです。

ずっと山口家を見守ってきた松。水害にも負けず何事もなかったようにそびえています。ずっと手入れをしていないのでぼさぼさですが、これからもずっと我が家のシンボルツリーとして立ち続けていくことでしょう。

ほぼ毎日入っていたゴエモン風呂も撤去されてしまいました。銅でできた楕円形の湯舟はとても暖まる、大好きなお風呂でした。堤防が決壊したあの夜に入ったのが最後になってしまいました。

土蔵と物置は残して、母屋・軒下作業場・プレハブ・貯蔵庫が約50日くらいで更地になってしまいました。壊してみると300坪は広い!町中なら分譲地として6棟は建ちそうです。古い家でしたが人生で一番長く住んだとても愛着のある家だったので、なくなってしまうと本当にさみしいです!

📌YAMAGUCHI📌

 前の記事を見る 一覧を見る

ページの先頭へ